International Training and Exchange Project

for Theater Professionals

舞台スタッフのための国際交流と育成支援プロジェクト

団体発足の経緯

2020年に起こったコロナ禍は、我々、劇場従事者に大変な困難をもたらす一方で、人と人が交流する舞台芸術活動の意義と、活動が行えることへの感謝、そして私達の中にありながら忘れかけていた舞台活動への根源的な喜びや衝動を再認識させてくれる機会となりました。

私達はこれまで米国を拠点に、あるいは日本国内に拠点を持ちながら海外公演や海外からの招聘公演などで、照明・音響・映像デザイナーや技術監督、プロジェクト・マネージャーとして従事してきました。その経験と知識、そして培ってきたコネクションを活用し、この時代に新しい角度から舞台芸術界の発展を支援する活動を実施したいと考え、このプロジェクトを立ち上げました。

団体活動趣旨

海外の技術や制度を学ぶ

アメリカなどの海外では、舞台スタッフの多くが大学や大学院などの高等教育機関において、系統だった教育を受け劇場現場へと送り出されています。そこでは技術だけでなく、組織やチームの一員としての働き方や考え方も学びます。海外と日本の違いを検証しつつ、海外の技術や制度を学ぶことは、舞台プロフェッショナルとしての幅を拡げることに大きく寄与すると考えており、そのような教育機会の創出を支援します。

舞台産業を支える知識や技術を知る

能や歌舞伎に代表されるように日本には長い歴史を持つ舞台芸術が存在し、洗練された美意識や舞台技術が育まれてきました。一方で米国の舞台産業は日本とは比べ物にならないほど大きく、日々創作される舞台作品やコンサートを支える技術革新が常に起こっており、知識や技術の集積も大きく深いものとなっています。そうした最新の、そして集積された知識や技術を知る機会の創出を支援します。

多様性と相互理解を促進させる

今日ほど社会のダイバーシティーや相互理解の重要性が叫ばれる時代はなく、 国際的な交流事業の重要性と必要性は、今後、さらに増すものと考えられます。 一方で情報や経験の圧倒的な不足から、円滑なコミュニケーションが実施できていないケースが多く見られてきました。我々の経験の中でも「こういう状況を事前に理解していれば対応も違ったのに」といったすれ違いを経験することがあり、現場スタッフの理解と知識の集積は重要な課題と言え、そのための相互理解の機会の創出を支援します。

活躍の場と可能性を拡げる

海外の劇場で活躍する日本人デザイナーや技術者たちの働き方や人材教育の現状を紹介することで、日本の劇場界を支える若い人材が海外との交流や海外への進出に意欲を持てるような、交流機会の創出を支援します。

上記の支援活動を提供することで、これから日本の舞台現場を支えていく若手舞台プロフェッショナルたちが、知識や経験、活動の幅や機会を拡大させる一助となること、そしてひいては日本の劇場界の発展に少しでも貢献できれば幸いです。

ITEP 運営者紹介

HIDEAKI TSUTSUI

筒井 秀明

照明デザイナー
テキサス大学エルパソ校・演劇学部照明学科・准教授

https://hideakitsutsui.com/

問1)どのような経緯で渡米しましたか?

1991年、日本から初めての留学生として、米国メリークレスト国際大学でインターナショナル・ビジネスを学ぶため留学しました。その後、大学寮のフロア・リーダー仲間の紹介で演劇と出会い、専攻をビジネスから演劇に変えることを決意しましたが、演劇を専攻するのであれば、もっと大きな大学の演劇学部で学ぶべきだと判断し、奨学金を取得して、北アリゾナ州立大学に編入しました。そこで演劇における様々なデザインを学習、体験していくうちに、暗い舞台に命を与えるような照明デザインに魅力を感じ、専門課程では照明学科を専攻しました。さらに照明デザインをより深く勉強するため、アシスタントシュップ補助奨学金を獲得し、フロリダ州立大学・大学院・演劇学部・照明学科に入学しました。大学院では、パット・シモンズ教授とアン・アーチボルト教授に師事し、在学中にETC アメリカ・トップ大学生賞、ブロードウェイ・マスターライティング賞、USITTヤングデザイナー賞を受賞。卒業後にニューヨークへ移転しました。

問2)その後、どのような経緯を経て米国で働くことになりましたか?

大学院在学中は夏季インターンとして、ニュージャージー州にあるサマーファンシアターなどで照明デザイナーとして働きました。ニューヨーク移転後は、ミッドタウン・インターナショナル・シアターフェステバルや、ラ・パシオン・セグン・サンマルコス・コンサート、モスクワ・サーカス・ツアー、そして舞台公演「フェイリング・カンザス」などの照明デザインを担当しました。またブロードウェイ・ミュージカルの全国ツアーなどで、照明デザイナーのアシスタントなどをしながら経験を積みました。その後、2005年にハワイにあるエッグシェル・ライティングに副社長として入社。規模の大きなコンサートや舞台公演の他、100以上の企業イベントなどで照明デザインを担当しました。以降、フリーランスの照明デザイナーとして活動し、2008年からは現在のテキサス州立大学エルパソ校で准教授として演劇照明デザインを教えています。

問3)現在はどのようなお仕事をされていますか?

現在は大学教授をしながら、プロの照明デザイナーとして、演劇に限らず、オペラ、ダンス、コンサート、ブロードキャストの照明も担当しています。例えば、2010年、ブロードウェイ・ミュージカル「ライオン・キング」でトニー賞を受賞した振り付け家、ガース・フェイガン氏がニューヨークのジョイスシアターで実施した公演「サンクス40」や、ウィスコンシン州マディソン・オペラによる「スウィニー・トッド」などで照明デザインを担当したほか、ニューヨークのブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM)でマイケル・ラウス氏の「グラビティー・ラジオ」公演の照明デザインを担当した際には、ニューヨーク・タイムズ紙にレビューが掲載されました。長年のコラボレーター、マイケル・ラウス氏の最新作「THE DEMO」でも照明プランを担当し、スタンフォード大学で初演しました。その他にも、東京バレエ団、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)、マーク・モリス・ダンス・グループが出演したバージニア・アートフェステバル20周年記念ガラ・イベントでダンス照明プランニングを、2017年には、Def Tech, ケツメイシ, スガシカオ等数々のアーティストが参加したグリーン・ルーム・ミュージック・フェステバルのコンサート照明デザインも担当しました。NCAA Final Four Promotional Video Featuring Panic! at the Disco は全米でテレビ中継されました。

SHUHEI SEO

瀬尾周平

裏方屋ドットコム

https://www.urakataya.com/

問1)どのような経緯で渡米しましたか?

日本で高校卒業後、米国ニューヨークに留学生として1999年に渡米しました。まずは語学学校で英語に慣れ、短大に入学しました。高校生の時に演劇部に所属していたこともあり、大学での選考を選ぶ時にTheater Artsを専攻しました。科目をこなしていくうちに、スタッフとして公演に参加することに非常に面白みを感じ、特に照明で高いところからシュートをする作業に魅了され、照明を中心に勉学に励みました。

米国で劇場スタッフ科目を専攻している学生は長期の夏休みを利用して在学中に劇場やサマーフェスティバルでインターンをするというのが一般的です。短大最後の夏休み、ニューヨークのセントラルパークにて毎年公演されるPublic Theatre主宰のShakespeare in the parkの照明部に参加させてもらいました。有名デザイナーやフリーで活躍する照明スタッフと共に現場をこなし、プロの仕事の進め方、チームの構成、最新機材の扱い方など教室では学べないことを実際の現場で学びました。

短大卒業後は、四年制大学に進学、自分でカリキュラムを作り、ニューヨーク市立大学で自由にクラスを受講し、しかも学生自身で学位名までカスタムできるというCity University of New York Baccalaureate (通称CUNY BA)にて『舞台監督&エンターテイメントテクノロジー』という学位と、そのための授業選択を担任教授と構築し、卒業しました。

大学在籍中は午前中は受講、午後や週末は大学内での公演のリハーサル、仕込み、本番。時間の空いている時はフリーの照明スタッフとしてニューヨーク、マンハッタンの劇場をメインに活動しました。

問2)その後、どのような経緯を経て米国で働くことになりましたか?

大学卒業までにフリー経験があったので、物価の高いニューヨークでフリーで生活していくのはかなり厳しい現実があるだろうと判断できましたので、在学中に就職先を探しました。ニューヨーク大学(New York University)で劇場管理照明スタッフの募集があり、面接を受けて仕事をいただきました。日頃懇意にしていたマンハッタンのレンタル照明会社からもレンタル・機材・消耗品営業の仕事をいただき、2つのフルタイムで朝7時から夜23時まで仕事をしました。数年後、大学の劇場管理照明スタッフから劇場管理ならび運営全体をまかさせれるポジションに昇進し合計15年ほど勤務しました。

問3)現在はどのようなお仕事をされていますか?

15年目に退社し、夢だった自分の会社を設立しました。仕事内容は主に海外メーカーの代理人、劇場建設のコンサルタント、日本への消耗品や機材の輸出事業をしております。現場仕事はめっきり減ってしまいましたが、米国公演のサポート業務のお仕事もいただく機会があります。日本では裏方屋ドットコムという裏方スタッフ専門のオンラインショップを運営しております。世界中の展示会に足を運び、多くのユーザーさんと顔を合わせ長いお付き合いができる関係を築くのが最高の喜びです。

FUTOSHI MIYAI

宮井太

プロダクション・マネージャー
舞台監督
ジャパン・ソサエティー舞台公演部副部長

https://www.japansociety.org

問1)どのような経緯で渡米しましたか?

大学時代は演劇部に所属していましたが、役者よりも裏方のほうが自分に合っていたようで、在学中からフリーランスの舞台監督として働きはじめ、6年かかりましたが(笑)大学を卒業し、そのまま7年程、舞台監督として小劇場やイベントを中心に働きました。その頃、このまま舞台監督として日本で働き続けることに息苦しさを感じ、また同時期にセゾン文化財団がコロンビア大学大学院芸術経営(アーツ・アドミニストレーション)プログラムへのスカラシップを募集していると知り応募、幸いにもスカラシップに合格できたため留学・渡米することになりました。

問2)その後、どのような経緯を経て米国で働くことになりましたか?

コロンビア大学在学中に北米最大の日米文化芸術交流団体であるジャパン・ソサエティーでインターンを経験し、卒業後、舞台公演部の職員として雇用されました。

問3)普段どのようなお仕事をされていますか?

主には、米国で日本からの芸術団体の招聘公演のテクニカル&プロダクション・マネージメントや契約書作成、予算管理、ロジスティクスなどを担当しています。また海外ツアー公演のツアー・マネージャーやテクニカル・コーディネーターなども行っています。

問4)海外で働いていて学んだことはありますか?

価値観は多様であるということ。 例えば、NYで暮らしていると、時間通りに運行されなかったり、勝手に路線を変更したりする地下鉄にイライラさせられることが多いのですが、日本では電車は時間通りに運行されるのが当たり前です。時間通りに運行されるのは素晴らしいことですが、その一方で一分の狂いもなく運行するために、従事者は職場と利用者の大きなプレッシャーの中で働いているかもしれません。時間通りに運行されないこともあるけれど、それを許容する社会と、時間通りに運行されるけれど、失敗を許容するのが難しい社会。正しいと思っていることも、見方や考え方が違えば、必ずしも正しいとは言えない場合もあるということですね。

問5)仕事で一番楽しいことはなんですか?

ツアーで米国の他都市やヨーロッパの都市を訪れること、様々な劇場で色んな人達と働くこと、そして自分に役割があり、それを果たすことでプロジェクトの遂行に貢献できると実感できる時間を経験できることですね。

HIDEYA SEKI

關 秀哉

技術監督
照明家
舞台監督
株式会社 流(RYU)代表取締役

https://ryu-co.com/

1953年長崎県長崎市生まれ。立命館大学在学中の70年代初期からさまざまなジャンルの舞台公演に携わる。以来20カ国以上の国々で日本人アーティストの海外公演に舞台監督,照明家として同行。海外招聘アーティストの日本公演のテクニカルディレクターの経験多数。また、京都芸術センター主催の伝統芸能の新しい試みの「継ぐこと伝えること」シリーズの舞台監督も長く勤める。茂山狂言の茂山あきら・茂山童司をかかえる狂言プロダクション「童司カンパニー」の代表取締役を兼務。近年の主な実績として、2020年9月「TOKYO MET SaLaD MUSIC FESTIVAL 2020」プロダクションマネージャー、2020年 「全国共同オペラ『トラヴィアータ』」プロダクションマネージャー、2019年「 東アジア文化都市」オープニングイベントプロダクションマネージャー、2017年~「国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ」テクニカルディレクター、2016年~「ローム ミュージック フェステバル(スクエアコンサート・野外コンサート)」 構成・演出 、2016年~「Fashion Cantata from KYOTO」 プロダクションマネージャー 等。